m? (2006-03-20 20:49:25 (月))
FMラジオ+録音機能+ボイスレコーダ+リモコン
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000CBNHT8/249-6131576-1121139
m? (2006-03-19 20:03:13 (日))
ディジタルペンはいろいろあって,
コクヨmimio(http://www.kokuyomimio.com/)とか
アノトペン(http://www.anoto.co.jp/)とかね.
でもairpenの何がアツイかというと,
ソフトウェア開発キットが提供されてるって点!
これを使えば,既存のソフトウェアだけじゃなくて,
私が私自身の目的に合わせたソフトが作れるってこと.
自分の生活には必要じゃないけど,研究に使いたいなぁと.
でもここでギクッとするのは,それでも「私の生活には必要じゃない現実」があるってことだ.
その理由として,おそらく現状のコンピュータ技術(特にパソコン)はディジタル世界とアナログ世界(実世界)のギャップを埋めきれていない.
埋め切れていないというよりも,埋める気すらないでしょ.
たとえばPCの中のデータを使うにはPCの前に座らないと取り出せない.
しかもファイル名だのURLだのコンピュータ世界でしか使わない名前(記号)を使って.
だからどうしてもPCを使う活動とそれ以外の活動が分離してしまって,
ディジタル化する意味(価値)はPCの前でしか発生しない.
私はそのギャップを取り除いて,人がもっと様々な場面で円滑にコンピュータの機能を使っていくにはどうしたらいいの?って方向の研究をしてるんだよね.
もちろんその本当の目的は,単に便利なコンピュータを作りたいってことじゃなくて,人が(コンピュータの使い方とか情報収集に労力を使うんじゃなくて)人の能力をもっと有効に活用できるような環境を作ることで,人自身がもっと楽しかったりもっと感動的だったり,その結果新しい何かに触れられたらうれしいなって考えているんだけどね.
ギャップを取り除こうってコンセプトで作った第一作目を体験したのが貴ちゃんなわけだけど,そんなことを感じてもらうことはできただろうか?
今の私の研究テーマは,電子データをPCからお外へ出そう!ってことをしていて,
このペンを私のシステムで使ったら,
そこらへんで書いたデータをそこらへんに保存できるようになるんだよね.
だから,フォルダ名とかファイル名でデータを取り出すんじゃなくて,
「あ,この辺で書いたな」とか言って取り出せる.
かつ何もモノを持ち運ばなくてもデータだけを持ち運べるようになる.
m? (2006-03-19 16:35:39 (日))
http://pukiwiki.sourceforge.jp/?%E8%87%AA%E4%BD%9C%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%B0%E3%82%A4%E3%83%B3%2Fblog2.inc.php
このプラグインを使うのもいいし,もう一つPukiWikiを解凍してもいいなぁ. 時間ないなぁ...
m? (2006-03-19 16:01:10 (日))
私の研究は,「コンテンツの蓄積方法」に関する研究でもある.
ポイントは
- エピソード記憶との関連(空間的意味,身体動作など.本来五感からの感覚を元に経験や記憶を蓄積しているはずなのに,ディジタルコンテンツにはこれが欠如していないか.すなわち身体性の欠如.)
- コンテンツの粒度の定義 (個人がPCに向かう場合のコンテンツとそれ以外とでは役割が違う.今はこれをごっちゃにしてないか?)
上記の二つは相互に関連している.
個人がPC内で使用するのに適しているコンテンツは粒度をフォーマット,
用途などで定義するとして,それは小さい.(粒度の定義はまた今度・・・)
そしてそれは10本の指を動かして文章を作れる入力速度は魅力的だ.
(キーボードというインタフェースは適しているという意味)
一方,知識として利用可能なコンテンツは従来本や紙面というメディアで存在している.
これは,利用される文脈に適合しているからだろう.
たとえば庭いじりをしながらPCを開くのは適していない.
さらにコンテンツの粒度でいえば,不特定多数の人が利用可能であり(ということは目的を共有できるという意味となる),
コンテンツのフォーマットもそう多様ではないであろうという意味で,大きいとする.
このようなコンテンツを読んだという記憶や利用した経験には五感が不可欠である.
つまりPCの前に座っているだけで蓄積されるものではないだろう.
これは画面やキーボード,マウスというインタフェースの問題なのかもしれない.
つまり,- 粒度にあわせたインタフェースを用意する必要があるということ
- 蓄積場所がフォルダやファイル名の記述では十分なエピソード記憶にはならないということ
などが考えられる.
と実は初めにしたかった話からずれている.
今何を書きたかったというと,
Webはいつでもどこからでも同一のものにアクセスできる.
しかし,肝心のPCのHDDとは別ものである.
Web上でこうして文章を作って残せることは思いついたときにメモを取れる
という意味で便利であるが,
誰が見るか分からない,いつなくなるか分からない,使いたいときにオフラインだったらどうするか,
など不安要素もたくさんある.
コンテンツの蓄積というのは,大容量の記憶媒体があればいいだけではない.
それを利用する文脈に適した記憶媒体とそれを利用するインタフェースが不可欠なんだ.